奇妙なプレゼント
クリスマスの朝、子どもが一人で歩いていた。
明るくなっていたとは言え、八時前。
我が子らは朝寝坊で、まだ起きていなかった。
だが、その子は歩いていた。一人で。リュックをからって(からう、はここ福岡の方言で背負うの意味である)。
女の子だった。
一方、私はゴミ出しの真っ最中。カン、ビン、ペットボトルを分別して、回収場所に持って行くところだった。
それで鉢合わせになったのだが。
背格好は我が子らと同じくらい。学年も同じだろうか。あるいは一つ、二つ違いかも。
歩いてくるくらいなら、近所に住んでいるのか。
この子の親は今、どこにいるのか。
会話もない、ほんの一瞬の邂逅に、疑念はいつまでも幾つもわき続け、尾を引き、くすぶる。
しかし口には出さなかった。なぜか分からないが、出せなかった。
そのくせ、まだくすぶるので、こうして紙の上に書き出したわけだが。
その女の子は、私の疑念のまなざしに気づいてか、途中から駆け出した。
その先は押しボタン式の横断歩道。通勤ラッシュのさ中で、右から左から大小さまざまな車が忙しなく行き交っていた。
その先の路地に入っていけば、市民センターと呼ばれる施設。私が子どもだった頃なら公民館と呼ばれたであろう施設。
さらにそのむこうの陸橋を渡れば、児童館と呼ばれる施設。共働きなどの事情があって、両親のどちらも子どもの面倒を見られない場合に、子どもを預かってもらう施設。
私はクリスマスについて考えた。イエス・キリストの生誕を祝うのがクリスマスである。
少なくとも、イエス・キリストには両親がいた。動物臭に満ちた馬小屋で産まれたにしても、両親はそこにいたのだ。
のちに十字架で磔にされたにしても、幼少期には両親がいたのだ。
なのに、あの子は一人で歩いていた。
以上は、私が勝手に考えただけのことである。性別も時代も文化もありとあらゆる条件が異なる二人の子どもの境遇を、勝手に比較している。リュックをからった後ろ姿を見送りながら、勝手にくすぶっている。
何のために。
それが何の役に立つ。
お前に何ができる。
お前は誰だ。
考えるだけで、何もできない。
さあ、もう戻れ。家に戻れ。
お前が世話するべき子らはそこにいて、走り去ったあの子ではない。
自分に言い聞かせて、引き下がるしかない私。
やれやれ、そんな私には聖ニコラウスも石炭すらくれないだろうて。
いや。
あった。
もらっていた。
この朝。
この邂逅。
この苦み。
イエスよ。
聖ニコラウスよ。
世間はあなた方の存在を疑うかもしれないが。
私はしかと受け取りましたよ。
何ができるか分からないが。
2019.12.25